資料集@ 祝辞草稿(絶筆)


    尾崎楠馬先生の絶筆とされる「祝辞草稿」の実物が発見されました。
   「祝辞」とは昭和28年の関東支部創立総会のために書いたものです。
   この祝辞草稿は「尾崎楠馬先生遺稿集」に写真付きで全文掲載されて
   いますが、実物の所在がわかりませんでした。尾崎先生が清書を託し
   た玉沢喜代志氏(中3回)の夫人が保管しており、玉沢氏の清書ととも
   に関東支部に寄贈して下さりました。

    尾崎先生は昭和28年夏、秋に上京する際に同窓会を開くよう玉沢喜
   代志氏に要請しました。玉沢氏は近藤富士雄氏(中1回、初代支部長)、
   高田忠一氏(中2回、第2代支部長)、浅沼武氏(中3回、第6代支部長)
   らと相談し、戦争で中断していた関東支部の創立総会(再結成大会)を
   計画しました。ところが尾崎先生は病状が悪化して東大病院に入院。総
   会には出席できなくなり、手術の前日に祝辞草稿を書きました。玉沢氏
   あての手紙がついており、玉沢氏が清書し、創立総会では浅沼氏が代
   読するよう求めています。
    コクヨの便箋に万年筆で、一文字一文字丁寧に書かれています。読み
   誤らないよう、ところどころルビがあります。闘病生活を支えた教え子たち
   への感謝の気持ちにあふれ、教育者として「果報者」と言い切り、教え子
   たちの不安を払しょくするため再起を約束した内容です。
    祝辞は和紙に毛筆で清書されました。玉沢氏は達筆で、関東支部会報
   の題字も書いています。
   (原文は縦書き。全文は「尾崎楠馬先生遺稿集」より。カッコ内は「遺稿集」
   で補足している箇所)

    玉沢氏あて手紙(昭和28年11月24日)
    (注)「浅沼」は浅沼武(中3回、第6代支部長)、「近藤」は近藤富士雄
      (中1回、初代支部長)、「山下」は山下貢・同窓会長(中1回)、
      「木原」は木原美義校長、「小田原」は小田原勇・初代教頭)

     拝啓 病臥中執筆不如意、情余りあって辞足らず、兎に角挨拶の草稿
    だけ纏めました。
    浄書は貴下に、読むのは出来たら浅沼君に願い度いものです。浅沼君
    にあらかじめ承諾せしめ、当日会場で開会前に手交願います。いずれ
    近藤君(関東支部長)が開会の辞、山下会長(1回、同窓会長)、木原校
    長、次に老生、次に見付中学旧職員代表小田原先生とし、他の諸先生は
    同窓生が自己の紹介の前、何の某、自年至年、何年何か月奉職、現在は
    ○○勤務中、という程度至って簡単に願えたらと御参考迄に申し添えます。
    先ずは乱筆ながら右御依頼迄申し上げます。
                                  十一月二十四日認む。

尾崎先生から玉沢喜代志氏への指示

祝辞草稿の全文


「祝辞草稿」の1枚目

「祝辞草稿」の2枚目

「祝辞草稿」の清書






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