尾崎先生直筆の手紙
その6〜8

尾崎先生が大津正一氏(中4回)にあてた手紙の続きです。

大津氏はこのころ肋膜炎を患い、療養中に糖尿病を併発しました。

その6にある「礼兄」とは、実兄の江塚幸夫氏(中2回)のことのようです。書き足りず、ぐるりと回るように余白にも御見舞いの言葉を書いています。その7にある「御手紙」とは、大津氏が尾崎先生に病状を報告した手紙とみられ、9月23日付の手紙が母校「はぐま会館」に保管されていました。医師らしく冷静・専門的に病状を分析しながら、療養期間を自身の鍛練として読書や思索をしているとつづっています。その7に上京したことが書かれていますが、昭和26年10月20日に開いた戦後2回目の在京同窓会に出席したことと思われます。文中の「浅沼君」は浅沼武氏(中3回)と見られます。

(原文は縦書き、年月日など一部推計。句読点は補足)

その6(昭和26年9月4日、はがき)

拝啓 早く御見舞状を差上げやうと思ひながら、ついつい怠ってゐました。偖先般礼兄から承った処に依ると貴下は此頃、健康を損ねて居られ、甲病漸く癒えて乙病に悩まされて御いでの様ですが昨今の御容体如何ですか。健康な者にも堪へ得られなかった酷暑の折の御苦痛はいかばかりであったでせう。昨今は少しは凌ぎ易くなられた事と存じます。なんしろ食餌療法にも束縛せられ味覚にもカーテンがおろされるのが嘸々お辛いことでせう。何卒御大切御静養の程只管祈っています。山妻よりも呉々よろしく申出でました。

その7(昭和26年12月19日、はがき)

拝復 御手紙を忝く拝見しました。在京中今一度訪問とは思ったが、たまたまの上京故訪問すべき箇所が多く、遂に果さず帰ったのは残念千萬です。あれから后も肋膜に溜る水のために悩まされて居られる様ですが、昨今の烈しい寒さ、何かと不自由の多い事と御同情に堪へません。しかし、兎にも角にも徐々に恢復期に向はれて居られる事は何よりも心強い次第です。為したい事、為さねばならぬ多くの事柄を控へ、床の中に軟禁されて居る事はどんなにか気の揉める事とは思ひますが、砂漠の中にもオアシスを見つけ荒野の中に一茎の花も見出されます。浅沼君から仄聞する処に依れば臥床中先人のいまだ気のつかなかった新しい療病の工夫が案出されたさうですね。どうか腹の底から落着いて御養生下さい。祈っています。

その8(昭和27年7月6日、はがき)

拝啓 思ひながら御無沙汰しました。降雨量は相当多いのに空は容易に霽れず、健康體でさへ此の鬱陶しさは堪へ切れないですが、いたつきの身にある貴下には嘸かしと拝察されます。偖昨今の御容體は如何ですか。此の季節が年中で一番よくない時期でせう。どうか呉々も慎重にいやが上にも御大事にして下さい。次に私共、私は耳が漸次遠くなり記憶力は喪失諸事大義になります。老妻は疲労を覚ゆる事甚しく心臓が衰へて来た様ですが、両人共、兎にも角にも御飯はおいしく戴いて居りますから御安心願ひます。

七月六日

その6

その7

その8