尾崎先生同窓会葬 式次第

初代校長・尾崎楠馬先生は昭和29年2月5日に東大病院でお亡くなりになりました。遺骨は磐田に運ばれ、2月21日に母校講堂で同窓会による葬儀が行われました。珍しい同窓会葬という形は、教え子との深い師弟関係を象徴しているように思います。

この式次第が残されています。同窓会・夫人・親戚一同の連名の挨拶、式次第、尾崎先生の経歴のほか、興味深いのは「尾崎楠馬先生玉詠」と新聞記事の転載です。

「玉詠」は亡くなる前月の1月に詠んだ和歌1首、俳句2句、校長を退職することを詠んだ昭和17年の漢詩、創立30周年記念式典の昭和27年の漢詩です。俳句を紹介します。

初雪に泰山木の折られたる

初雪を聞くのみ病臥温かき

病床にあって、小さい鏡に映った雪を詠んだという説明がついています。「聞くのみ」とあるのは、起きて窓から見たり、まして外に出たりすることはできず、ベッドに寝たまま、わずかに鏡を通じて見て、音を聞いて感じたことを詠んでいることを表しているのだと思います。

新聞記事は2月11日付の産業経済新聞です。「名勤労教育家 尾崎先生逝く 医薬のかぎりを尽くす 教え子ら団結の看護のうちに 栄転顧みずひと筋に歩んだ一生」という見出しがついています。尾崎先生の教育方針、教え子による看護体制などが感動的につづられています。この記事を探してみたところ、産経新聞の都内版のトップ記事でした。東京駅のホームで遺骨を抱いた芳夫人を見送る教え子たちの写真が大きく掲載されています。マイクロフィルムからの複写なので見にくいのですが、雰囲気はわかると思います。

同窓会葬では葬儀委員長の山下貢・同窓会長(中1回)、木原美義校長、近藤富士雄・関東支部長(中1回)が弔辞を読みました。弔辞は「尾崎楠馬先生遺稿集」に収録されています。近藤支部長の弔辞は、関東支部創立の経緯、病状の経過などを詳しく説明しています。東大病院に入院したことで「ここに先生がおられるということ自体、私共帝都及びその周辺に住するもの、『校長われらと共に在り』の思いにおのずから日夕心温まるものを感じていたのでありました」と、語っています。

葬儀の写真は何点か母校に保管されています。それと違う写真を高田忠一氏(中2回)の親族より寄贈していただきました。また式次第にある顔写真も寄贈していただきました。「シイキ」という刻印があり、見付の「椎木写真館」で撮影したものと思われます。手書きで「櫻汀 尾崎楠馬」と雅号と氏名が書かれています。式次第によると昭和27年10月に撮影したものです。(顔写真はホームページの書簡「尾崎先生直筆の手紙」に掲載しています)

同窓会葬式次第(表)

同窓会葬式次第(裏)

産業経済新聞 都内版(昭和29年2月11日付)

尾崎先生同窓会葬