尾崎楠馬先生遺稿集
初代校長・尾崎楠馬先生が詠まれた漢詩、和歌、俳句のほか、随想、書簡、さらに葬儀での弔辞、教え子らの追想を収めた本です。尾崎先生は昭和29年に亡くなっていますが、満7年の忌を控えて遺稿集の計画が具体化し、同窓会が中心に刊行会を組織され、昭和37年に発行されました。
尾崎先生は国語・漢文の担当ですが、専門家に師事して漢詩、和歌、俳句を修められました。和歌は宮中歌会始めに大正5年以来、亡くなる年まで毎年詠進していました。
旅先での風景や、時々の思いを詠んだものが多いのですが、胸を打つのは戦地に赴いた教え子を心配したり、戦死した教え子を弔うものです。
秋風も身もしみそめぬ北満の彼方の野辺やいかにあるらむ
ゆくりなく今に加藤がのっそりと帰り来ぬべき心地こそすれ
今にして思へば悲し家と国の頼む柱となるべかりしを
書簡は卒業した教え子や、転任した見付中学の教員らに宛てたものです。いつまでも細かいことに気を配り、励ましている手紙が目立ちます。ユーモアが溢れた手紙もあります。
尾崎先生は晩年、関東支部の再結成を呼び掛け、病状が悪化して東大病院に入院後は在京の教え子たちの看護を受けました。こうした経緯も書簡や弔辞、追想に詳しく書かれています。
編集主任の江塚幸夫氏(中2回)の編集後記には「本書の成るについて、終始その推進役となり、また編集陣に激励を与えられたのは、同窓会関東支部有志の面々である。印刷、造本もまた専らこれら諸兄の配慮に依存した。特に校正については、松井利一君の協力を得た」と書かれています。
中4回の松井氏は、丸尾文六氏(中1回)、高田忠一氏(中2回)とともに卒業後、講談社に入社し、長く出版事業に携わりました。松井氏は一時大病を患いながら尾崎先生に和歌を添えた手紙を送り、尾崎先生も和歌や俳句を送って文通を続けました。遺稿集には、丸尾氏、高田氏、松井氏ら関東在住の教え子たちへの手紙が多数収録されており、教え子たちと魂の触れあう交流を続けたことがわかります。
尾崎先生の人となりを知るには欠かせない第一級の資料といえます。
尾崎楠馬先生遺稿集