尾崎先生直筆の漢詩
尾崎楠馬先生が教え子の結婚祝いに贈った漢詩が書かれた色紙が発見されました。尾崎先生の夫人の芳さんが贈った和歌が書かれた短冊も一緒です。
書かれたのは昭和27年1月。玉沢喜代志氏(中3回)の結婚を祝したものです。玉沢氏が保管していたものを夫人が寄贈して下さりました。
漢詩は「尾崎楠馬先生遺稿集」にも収録されており、書き下し文がありますので、引用します。カッコ内の振り仮名は遺稿集にあるものです。
多載公(おおやけ)に奉じて私を忘るるの身
良媒頼(さいわい)に婚姻を結ぶを得たり
家庭の輯睦須く希冀すべし
方(まさ)に是(これ)平和第一の春
最後に「賀玉澤君結婚 昭和壬辰初春 尾崎楠馬」とあり、名前の印と、「桜汀」という雅号の印があります。壬辰は昭和27年の干支です。「遺稿集」には「平和第一春」について「昭和27年は前年9月に調印された講和条約の発効の年である」という注釈があり、平和と独立を得た時代の雰囲気を感じます。玉沢氏は尾崎先生の推薦で大蔵省に務め、結婚が遅かったことを尾崎先生は心配しており、このため「長年、公に奉じて自分のことを忘れていた」という書き出しになったものと思われます。
夫人の和歌は2首あります。
玉澤喜代志の君の結婚を祝ひて
うつくしき つまをむかへて にひむろに ふゆもよそなる
ひかりあふるる 芳
玉澤喜代志の君の結婚をいはひて
あたらしき くにのあゆみに そひなから いへのかせをも
ふきおこさなむ 芳
最初の「にひむろ」は「新室」のこと。結婚式は1月でしたが、「新しい家に冬ではないような光が溢れている」という意味と思われます。2首目の「新しき国の歩み」は尾崎先生の漢詩にある時代を感じます。「いへのかせ」は「家風」のことのようです。尾崎先生の夫人は、もともと女学校の先生で、尾崎先生とともに和歌をたしなみ、教養を感じさせる短冊です。
この漢詩、和歌については「遺稿集」に収録された尾崎先生の書簡に経緯が書かれています。尾崎先生は結婚式に参列する予定でしたが、夫人の健康に配慮して取りやめ、祝辞とともに漢詩、和歌を贈ったようです。
昭和27年1月12日付の玉沢氏あての書簡から引用します。
十時頃漸く机に対して草稿を作り、正午頃に略(ほぼ)成り、午食後漢詩一首を吟じ四時頃清書、傍(かたわら)山妻も何かお祝いの歌を詠まねばと兎角して二首詠み出(い)ず。(中略)山妻の歌は千々に思う一端を述べて祝詞と致したもの、御披露は差し控えて戴きたいといっています
祝辞は同期の浅沼武氏(中3回)が代読することになり、浅沼氏が尾崎先生に報告したところによると、漢詩と和歌は参列者の希望で2回ずつ朗読したそうです。こうした報告に満足した尾崎先生が玉沢氏にあてた2月15日付の書簡には「荊妻の和歌がわからなくなったそうですネ。短冊にでも書かせましょう」と書かれています。「わからなく」の「わか」の部分に「○○」という印をつけて強調しています。尾崎先生の手紙には、こうしたダジャレが時々あります。当初は「披露は差し控えて」と書いていたのですが、実際には披露され、その後の書簡で不満を漏らしていないところから、お許しになったようです。今回見付かった短冊は、いったん紛失したあとに改めて贈ったものと思われます。
尾崎夫人の短冊
尾崎先生直筆の漢詩